Dalmacija地方の方言とSplit弁|Hajduk応援歌から学ぶ沿岸の言葉

私がSplit旧市街のRiva(Matejuška漁港から東へ続く海沿いプロムナード)を歩いていた時、地元のおじさんたちが標準クロアチア語とは明らかに違う発音で話しているのに驚きました。Dalmacija方言(čakavski系とštokavski-ikavski系の混合)には独特の語彙と抑揚があり、Splitの若者もこれを誇りにしています。この記事ではSplit弁の特徴と実用表現を、Hajduk Split(1911年創立、クロアチア最古のサッカークラブ、Poljudスタジアム1979年開業、31000人収容)の応援歌や地元音楽を通して紹介します。

Split弁の基本的な特徴

音韻の違い

Split弁では標準形のijekavski(mlijeko=牛乳)がikavski(mliko)に置き換わります。Djeca(子ども)はdica、vrijeme(時間)はvrime、cvijet(花)はcvitとなります。私はSplit Pazar(旧市街東の青空市場)で野菜を買う時、売り子のおばあさんが「dvi kune za dvi jabuke(2クーナで2個のりんご)」と言うのを聞いて、2023年のユーロ導入前までに生きたikavski方言に触れられたのは幸運でした。

イタリア語からの借用

SplitはVenezia共和国の支配を長く受け(14〜18世紀)、Dalmacija全体にイタリア語の影響が色濃く残ります。butiga(店、bottega)、fjaka(午後の気だるさ、fiacca)、špaher(台所、spacher)、maneštra(スープ、minestra)、bevanda(ワインの水割り、bevanda)、šjor/šjora(旦那/奥様、signor/signora)、pjat(皿、piatto)、škovace(ゴミ、scovazze)といった単語は日常的に使われています。特にfjakaは哲学として語られるほどで、「fjaka je način života(フィヤカは生き方だ)」とDalmacija人は誇らしげに言います。

Hajduk Splitと応援歌

Hajduk Split(1911年創立、Poljudスタジアム1979年Boris Magaš設計、貝殻型の屋根が特徴)の応援団Torcida(1950年創立、ヨーロッパ最古のウルトラ集団)が歌う応援歌には、Split弁の情熱が詰まっています。「Marjane, Marjane」(Marjan山を讃える民謡、Dalmacijaの精神的象徴)、「Mojoj Splitu」、Oliver Dragojević(1947-2018、Split Vela Luka出身の国民的歌手)の「Skalinada」「Cesarica」といった楽曲は、Split港Rivaで夜な夜な歌われています。

Klapa音楽と方言

Klapa(Dalmacija地方の男声アカペラ合唱、2012年ユネスコ無形文化遺産登録)は沿岸の方言の宝庫です。Klapa Cambi(1988年Split結成)、Klapa Intrade(1995年Sinj結成)、Klapa Iskon、Klapa Rišponの演奏するレパートリーには「U ono vrime pro miseca maja(あの5月のある時)」のようにikavski形が多用されます。Festival dalmatinskih klapa u Omišu(1967年開始、毎年7月Omiš開催)はDalmacija文化の中心イベントで、私は2019年に参加して100団体を超えるクラパの声を浴びるという贅沢な体験をしました。Omiš(Cetina川河口の町、かつてピラート海賊の拠点)のMirabela要塞(13世紀建造)からCetinaの渓谷を見下ろしながら方言を学ぶ時間は格別です。

Split弁の挨拶と会話

「Kako si, ča?(元気か?)」「Šta ima?」「Evo me(ここにいるよ)」「Pa dobro(まあまあ)」「Nema problema, moj(問題ないよ、友よ)」が日常の会話。Splitの男性は互いを「moj(私の)」と親しみを込めて呼び、女性同士は「moja」と呼び合います。カフェでは「Daj mi jednu kavu(コーヒー一つくれ)」より「Jedna kava, šjora(コーヒー一つ、奥さん)」のほうが温かい響きです。

島嶼部の方言

Dalmacijaの島々はそれぞれ独自の方言を持ち、Brač島(面積396km²、クロアチア最大級の島、Zlatni rat海岸で有名)、Hvar島(1420-1797年Venezia支配、Hvar Town Stari grad Jelsa Vrboska)、Korčula島(1295年Marco Polo生誕の伝説、Kumpanija剣舞)、Vis島(1944年チトーの司令部が置かれた歴史、戦略的位置)、Lastovo島(星空観測のダークスカイ保護区)ではそれぞれ異なるイントネーションとアクセントが聞けます。特にVis島のKomiža村(伝統的な漁村、Komiški gajeta Falkušaという古代船で知られる)では、čakavski方言が今なお日常的に話されています。私は2020年にKomižaを訪れた際、港の漁師たちが「Kadi greš?(どこへ行く?)」「Stari, pod li na more?(おっさん、海へ行くか?)」と話しているのを耳にして、これぞ生きた方言だと感じ入りました。

Dalmacija料理の方言呼称

料理名にもDalmacija弁が色濃く残ります。Pašticada(パシュティツァーダ、ダルマチア風牛肉の赤ワイン煮、Dingač waineでじっくり煮込む)、Peka(鐘型の鉄蓋でオーブン焼きにする料理、ラム肉やタコで作るpod peku)、Brudet(魚のトマト煮込み、ダルマチア沿岸の伝統料理)、Soparnik(Poljica地方のチーズパイ、EU伝統的保証食品指定2016年)、Fritule(小さな揚げ菓子、クリスマス定番)、Rožata(カラメルプリン、Dubrovnik名物、16世紀Rozata家由来の伝説)。Split旧市街のKonoba Matejuška(Tomića stine 3番地、Matejuška漁港すぐ)やKonoba Fetivi(Tomića stine 4番地)ではこうした伝統料理を本物のDalmacija弁で注文できます。私は2018年夏にKonoba Matejuškaで「Peka od hobotnice za dvoje, molim(タコのペカ2人前お願いします)」と頼んだ時、店主Tonći氏が「Bravo, šjor!(よくできた、旦那!)」と返してくれました。

現代文学に見るDalmacija弁

Miljenko Jergović(1966年Sarajevo生まれ、Zagreb在住の作家、『Sarajevski Marlboro』1994年でブレイク、Fraktura出版)やAnte Tomić(1970年Split生まれ、Jutarnji list紙コラムニスト、小説『Čudo u Poskokovoj Dragi』2009年)の作品には、Split弁とHerzegovina弁が混在する豊かな文体が見られます。Renato Baretić(1963年Zagreb生まれ、Split在住の作家、『Osmi povjerenik』2003年でJutarnji list文学賞とAugust Šenoa賞をW受賞)の代表作は架空のDalmacija島Trećićを舞台にした作品で、作者が創作した方言が物語の魅力となっています。私はBaretićの『Pričaj mi o njoj』(2006年Fraktura)を読み進めることで、Split弁の音楽性に触れる良いきっかけを得られました。

Dalmacija弁はクロアチアのアイデンティティを象徴する存在であり、方言を学ぶことは標準語学習の枠を超えた文化体験です。Sveučilište u Splitu(1974年創立、Livanjska 5番地)のCroaticum部門が提供するサマースクールでは、Split弁の集中講座も開講されており、夏の旅を兼ねた学習にうってつけです。Stari grad na Hvaru(Hvar島古代名Pharos、紀元前384年ギリシア人植民)のUNESCO世界遺産地区も、散策しながら方言に触れる絶好のフィールドです。

さらにRadio Dalmacija(1995年開局、Split本局、周波数95.5MHzなど沿岸地域で広範囲をカバー)をストリーミングで聞けば、Split弁のニュースやトーク番組に日々触れることができます。

同局の朝のトーク番組「Dobro jutro, Dalmacijo」はゲスト出演の芸術家やスポーツ選手の方言インタビューが聞けるおすすめ番組です。

地元感を味わうにはHT portal(HRT公式ニュースサイト)のDalmacija地方ニュースも活用できます。

Slobodna Dalmacija(1943年創刊のSplit本拠地新聞、Hrvatska poštaグループ)の地方欄も読み応えがあります。

特に週末の文化特集には必読の連載が並びます。

継続こそがDalmacija弁を肌で覚える最良の方法です。

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